
正規ディーラー“アストンマーティン東京”がめでたく発足しましたので、そのレセプションの模様をお届けします。

日本でのアストンマーティン
- コーンズ・アンド・カンパニー・リミテッド|1965年〜1969年
- イースタンモータース株式会社|1970年〜1979年
- 中部八洲自動車株式会社|1976年〜1980年
- 日本レイランド株式会社|1980年〜1983年
- 三井物産株式会社|1981年〜1984年
- 麻布自動車株式会社|1986年〜1993年
- アトランテック商事株式会社|1994年〜2014年
- Aston Martin Japan合同会社|2015 年〜
その後、麻布自動車が正規インポーターとして7年続くも、バブル崩壊の象徴ともいえる麻布建物株式会社の倒産により正規インポーターはなくなってしまいます。
近年のアストンマーティンは、映画『007』のボンドカーとしての復活起用による知名度アップや、この2大ディーラーに加えて関西圏を担う八光カーグループの活躍もあり、日本での販売実績を順調に伸ばし続けてきました。
その裏には、2014年に新しい経営トップに就任したのが、元日産自動車で商品企画統括部門の副社長だったアンディ・ パーマー氏であることや、パーマー氏の妻が日本人で娘も日本育ちという事情があったことも見逃せません。
アストンマーティンの日本での販売台数
JAIA 日本自動車輸入組合の統計データより
http://www.jaia-jp.org/
改めて見ると2006~2007年にかけて好調で、200台越えとなっています。これは、DB7以来の全く新しいシリーズにして、映画『007:ダイ・アナザー・デイ』でフラッグシップであるヴァンキッシュが起用されて以降となるDB9とV8Vantageの人気によるものです。
2008年以降は、それぞれのオープンバージョンやマイナーチェンジ版、V8→V12へのコンバージョンモデル等の派生車種を次々にリリースし、攻勢をかけるもほとんど減少傾向となり、多くても2006年のピークを下回る台数に終始しています。2016年にはDB9の後継車種となるDB11が発売され期待されましたが、それでも250台の壁を超えることはできませんでした。
この登録台数の統計データでは断定はできませんが、2016年の台数には相当数の中古車登録台数も含まれているものと想定できます。そうなると、益々2006年のピークにはほど遠いということが言えます。
少々厳しい考察をしてみましたが、もう一つの側面である谷側に目を向けてみれば、登録台数の底は年々上がってきているようにも見て取れます。この調子で推移すれば、いずれは年間登録台数の底が200台と言うラインも見えてきます。
アストンマーティン東京
アストンマーティン東京発足と聞いて、違和感を覚える方もいることでしょう。これまで東京で販売していたディーラー網はどうなってしまうのか?と。
実は、これまで日本でのアストンマーティンの販売を牽引してきた主力となる2ディーラー(2015年の日本法人発足以降はインポーターではなくディーラーに降格)は、2017年3月末をもってアトランティックカーズが、6月末にはアストンマーティン赤坂(新東洋企業株式会社)が、相次いで取扱い終了を表明しています。
そして、それらを引き継ぎ、新たにこれまでランボルギーニ麻布を筆頭にポルシェ、マセラティ、ボルボなどの高級輸入車を総合的に取り扱ってきたSkyグループが4月からアストンマーティン東京としてスタートしました。
これまでのランボルギーニなどの超高級車販売で培った経験と実績を元に、日本のアストンマーティンを盛り上げてくれることを期待せずにはいられません。
ヴァンキッシュS
アストンマーティン東京発足に華を添える形となったヴァンキッシュSのお披露目です。
最高責任者兼CEOであるアンディ・パーマー氏が“アストンマーティン史上最高のスーパーGTに仕上がっている”と、大きな自信を覗かせるできです。
重要なスペックも、エンジンはインテークシステムに改良が施され、吸気効率が高まった結果、最高出力は15psアップとなる588ps。最高速度323km/h、静止状態から100km/hまでに要する時間はわずか3.5秒となっています。価格に見合う素晴らしいスペックではありますが、アストンマーティンはスペックで語る車ではありません。
素晴らしい性能は、あくまでもいざという時のためのものであり、通常時はシルクを織り込んだタキシードのような美しいボディと品格こそが全てと言えます。
新しいアストンマーティン東京は、6月まで仮店舗としてランボルギーニ麻布の隣で営業し、それ以降は青山に正式に拠点を構える予定となっています。
少しでも興味がある方は足を運んでみてはいかがでしょうか。
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