車にまつわるトレンドやニュースを深く理解していただこうとするあまりに、車というものを真正面からとらえ始めているとご理解いただければ幸いです。
そして、今回は『車とアイデンティティ』と称して、私が日頃から考えている現代人と車の関係性を少し面白く語らせていただきたいと思います。
「アイデンティティ(identity)とは」
車との関係性を語る前に、まず、アイデンティティとは何かを振り返ってみたいと思います。
日常会話でも度々登場する機会のあるアイデンティティですが、日本語で定義するとどうなるかを的確に答えられる人は少ないのではないでしょうか。
その証拠に辞書で調べてみても、納得のいく答えは得られません。おそらく日本語や日本人の考え方には元来存在しなかったものだからでしょう。
『自己が環境や時間の変化にかかわらず、連続する同一のものであること』、
『主体性。自己同一性、自我同一性』、
『あるものがそれとして存在すること』
などと書かれています。
日常で使用するときの意味とは大きくかけ離れていることがご理解いただけるかと思います。
今回の題材としての意味を考えた上でも、もちろん大きくズレています。
では、わかりやすく今回の用途を考えてみます。
自分が自信を持っていること、自分自身のよりどころのようなことだと思いました。
たとえば、勉強や野球が得意でそのことを自認している人は、それらで自分に自信をもつことができ、他のことで多少何かあってもネガティブにならずにすみますよね。
そういうものがアイデンティティなのだと思います。
また、それは、他人と比較した上で優位である必要はなく、自分だけが持っているものでなくてもよいと思います。
勉強もスポーツもそこそこで目立たないけれど、家族思いの優しい心を持っているということを自認していれば、それが自分のよりどころになるかもしれません。
その場合には、そういう心こそが、アイデンティティといえると考えました。
要するに、自分の自信であり支え・よりどころになるような、広い意味の自分自身のキャラクターのことだと思います。
ただし、これは自分本人のものでないといけません。
スポーツ万能の兄が私の自慢というようなのは、兄がいなくなると、その自慢・自信は崩れてしまいます。
「車とアイデンティティ」
アイデンティティとはどういうものかを振り返ってみると、そのまま車に置き換えることができることをご理解いただけたかと思います。
自動車が生まれてから単に便利な移動手段としての役割を求められていた時代から、一人に一台が当たり前になりつつある現代においては、本来の移動としての必要性よりもそのものが一種の遊びやガジェットとして認知されつつあると思います。
今日のSUVの大流行も、根源には実用性も犠牲にできないが、形のカッコいい車に乗りたい、周囲の友人知人からの見た目を気にしていることの表れだととらえることができます。
「ランボルギーニ、フェラーリ、ポルシェ」
最もわかりやすい例として、やはり、スーパーカーを挙げさせていただきます。スーパーカーほどオーナーのアイデンティティを顕著に表せるものも他にはないと言えます。
フェラーリ創始者エンツォ・フェラーリに改良の提案を直談判したものの受け入れられず、激怒し自らの手でフェラーリを超える車を生み出す決意をしたランボルギーニ創始者フェルッチオのエピソードからも影響を受けてか、ランボルギーニには反骨心や反大勢的思考を持った方がオーナーに多いように見受けられます。
実用面から見ても、確かにランボルギーニは目立ちすぎるため普通の方は避けてしまうかもしれませんが、そんな群衆からの注目すらも気持ちいと感じることができるメンタルが必要となるため、必然的に乗り手も限られてしまいます。
フェラーリはその真逆で、王道を行く生き方やブランドイメージを大切にする方がオーナーに多いです。
そして、ポルシェは、ロジカルな思考をもち見た目の派手さやブランドなんかよりも中身の性能を重要視する方が多いです。
車という機械を擬人化したりせずに、どこまでも機械として正しく向き合うタイプです。
ツーリングなどの車の集まりでは、これらの特徴が特に顕著に表れ生き方やお連れの女性にまでもれなく反映されているのがさらに面白い点です。
ランボルギーニの助手席には特にグラマラスで情熱的な女性が、フェラーリにはスレンダーな良家の淑女、ポルシェには高学歴で文武両道に秀でた女性といった傾向が実際に見受けられます。
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