トミカとスーパーカーのコラボレーション
事の発端は、あの誰もが一度は遊んだことのあるミニカー トミカから協会へのオファーでした。
トミカ主催の子供向けモーターショーとして、スーパーカーを展示して欲しいという内容です。
もちろん、子供向けチャリティということなら協会の主旨とも合致しますし、あのトミカとのコラボなら願ってもないことですので即答で協力させていただくことになりました。
春のおでかけSpecial
イベントの位置づけとしては、東京ドームシティ全体が舞台となる春のおでかけSpecialと題されたイベント群の一つとなります。
開催期間は3月前半で、スーパーカー展示以外のイベントも、特設されたスケートリンクによる“スケートガーデン”や、出店者もお客も子供のフリーマーケット“MOTTAINAI キッズ in ミーツポートガーデン”など、春休みの子供達向けとなっています。
40年ぶりの復活!
本来のイベントタイトルは、“スーパーカー・フェスティバル in 東京ドームシティ”なのですが、ここではあえて“スーパーカーショー”と呼ばせてください。
1970年代後半(昭和50年代前半)に漫画「サーキットの狼」を発端として巻き起こった、スーパーカーブームについて、懐かしく思われる方も多いのではないでしょうか?
当時は週末になれば、各地のイベントホールで“スーパーカーショー”と銘打った展示会が開催され、首に大きなカメラをぶら下げた少年や親子連れで大いに賑わいました。
後楽園ゆうえんち(現在の東京ドームシティアトラクションズ)も、例に漏れずその会場となっていました。
それから約40年の時を経て、ついに同じ場所でスーパーカーの展示会が開催されたのです。
展示された車もゆうえんちのアトラクションも、来場者の服装も大きく様変わりしたものの、人々のスーパーカーに対する熱気はかわっておらず、懐かしさと嬉しさがこみ上げ、思わず古き良き呼び名スーパーカーショーと言いたくなったのです。
当日の展示の模様
今回の会場、ざっくりと言えば東京ドームシティですが、ほぼ東京ドームに展示したといっても過言ではないほど東京ドームに近いです。
正確には東京ドームと東京ドームシティアトラクションズの境界にあたる場所で、ドームの21~22番ゲートです。
実際に車両を展示したのは、スーパーカークラブジャパン(SCJ)と称する愛好家サークルに所属するオーナーの皆さんです。
総勢40台ものフェラーリやランボルギーニ、マクラーレン、ポルシェを中心とする色とりどりの車達が、東京ドームをバックに佇む姿はまさに圧巻。
東京ドームの安全や地域対応の規制で、エンジンをかけたりブリッピングを披露することは許されませんでしたが、代わりに車両オーナーによる車の紹介や、スーパーカーの入手方法といった興味深いトークショーも行われて、日頃聞けないオーナーの生の声に来場者も大いに盛り上がりました。
舞台裏
華やかな表舞台とは裏腹に、もちろん事前の準備は泥臭いものです。
全国的に有名で、ほぼ100%の知名度を誇る東京ドームに車を展示するということが、これほどまでに難しいのか、と思ってしまうほどにいろいろな制約事項が存在しており、警備会社を含む関係各所との綿密な打ち合わせが複数回にわたって必要でした。
そして、迎えた当日
もっとも困った制約としては、車を配置するための目印すら、事前の設置が許されてはいないということです。
これをクリアするため当日はまだ日も昇らない朝5時に現地入りし、50mの巻尺と養生テープを片手に40台分のバミリ(床へのマーキング)を行いました。
事前の設計図通りに引き終わるまで2時間を要しました。
準備を終えた7時頃、待機用の駐車場に続々とスーパーカーが集まりだしました。
待機用と言っていますが、なんとこの駐車場、普段は東京ドームを本拠地とする読売巨人軍の選手専用に使用されている場所です。ここに駐車しているだけでも、プロ野球選手気分が少し味わえた気さえします。
7時半になり、いよいよ展示場所への車両の配置が始まります。
ここでも制約が登場します。
ドームシティ場内の移動時には、必ず5台を一組として、1台につき1人の警備員と誘導スタッフが配備しなければいけないことになっています。
40台全てを8組に分けて、配置が完了したのは一般来場者が入場し始める8時半ギリギリのことでした。
退場シーン
アトラクションにネオンが灯るころ、40年ぶりに復活したスーパーカーショーも無事閉幕をむかえ、色とりどりの車達が雄叫びを上げながら動かない展示物から本物の車へと戻り出します。
誘導灯の明かりに導かれながら、一台、また一台と大都会と言う名のジャングルに消えていきました。
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